平安時代、平清盛は物品貨幣(米・絹)から金属貨幣(宋銭)へと替えた

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現在、NHKの大河ドラマで放送されている平清盛は武士ですが、経済人としての一面も持っています。

平清盛は中国の貨幣「宋銭」を日本に持ってきて、これまでの「物品貨幣」を「金属貨幣」に変えた人物でもあるのです。

当時の南宗は市場経済が発達した国でした。

その宗で使われていた貨幣「宋銭」は銅でできており、現在の価値でいえば1枚が約10〜100円。

一方、平安時代の日本では、商品のやり取りをする際には米や絹が使われていました。

これを「物品貨幣」と言います。

たとえば、貴族が買い物をする場合、魚が欲しいのであれば米を相場に合う量だけ魚と交換します。

また、絹も同じように欲しい品物と交換し、取引を成立させることができました。

しかし、米や絹といった「物品貨幣」には以下のような欠点がありました。

(1)重くてかさばり運ぶのに不便
(2)腐ったり汚れたりして長期の保存に適していない
(3)品質によって価値にバラつきがある

このように、米や絹といった「物品貨幣」は貨幣としては多くの欠点がありました。

そこで、平清盛は「宋銭」つまり「お金」を持ち込んだのです。

お金には以下のようなメリットがありました。

(1)金属でできたお金は腐ったり劣化する米や絹と違い価値が安定している
(2)簡単に数えることができる
(3)小さくて持ち運びにも便利

こうした金属貨幣を使えば、遠い土地との商売も簡単になり、商取引が盛んになります。

また、余った貨幣は瓶(かめ)などに入れておけば、富として蓄えることもできます。

金属貨幣は日本の流通を大きく発展させる可能性を秘めていたのです。

今となっては当たり前のように使われている貨幣ですが、その当時、金属貨幣が流通するということはものすごいことでした。

まず、物流のコストが下がります。米や絹だと数えること自体に時間がかかりますが、金属貨幣なら見た目ですぐに分かります。

また、貨幣は小さいので米や絹ように場所をとらず、貯蔵するコストも下がります。

こうして、貨幣の登場によってあらゆる物のコストが下がると、富が動きます。

富が動けば、経済が活性化します。

平清盛が持ち込んだ宋銭は、富を動かし経済を活性化する効果があったのです。

さらに、宋銭が流通するにわたって、貴族社会の構造にも影響を及ぼしたという説もあります。

宋銭が導入され、皆がそれを使うようになれば、不便な物品貨幣として米や絹の価値は下がります。

すると、今まで大量の米や絹を物品貨幣として蓄えていた貴族たちは損害を被り、没落していったのではないかという説があるのです。

もし、そうであれば、平清盛の宋銭の導入は従来の貴族と平家の地位を逆転させる方向へと作用させた可能性もあるのです。

それだけ、物品貨幣から金属貨幣への変更は大きなことだったのです。

しかし、平清盛が64歳で亡くなると、その4年後に平家は源氏との戦いに破れ、滅びてしまいます。

その原因の1つに、金属貨幣の価値の暴落があると推測されています。

当時、西日本では干ばつによる飢饉が起こりました。

飢饉が起きると、物の価値がガラッと革命的に変わります。

それまで、貨幣は非常に大事なもので力を持っていました。

しかし、飢饉が起きて世の中に出回る米の量が激減すると、米(食べ物)が一番大事なものに変わります。

少ない米が貴重になる一方、貨幣の価値は下がってしまいます。

すると、いくら貨幣を積んでも貴重な米は売ってもらえないのです。

飢饉時では、いざという時に食べることができない貨幣は、単なる金属の塊でしかないのです。

これが平家衰退の原因ではないかと推測されているのです。

なぜなら、平家の周りの武士たちは大量に貨幣を持っていました。

しかし、飢饉後は貨幣の価値が下がり、資産を大幅に減らすことになります。

そうなると、武士と平家の間の信頼関係が崩れます。

一方、源氏の源頼朝は見方の武士たちに土地を保証していました。

当時、金属貨幣と違って揺らぐことのない土地の分配で、源氏は兵力を増やしていったのです。

参考:
経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書

<PDFファイル>鎌倉・室町期日本の貨幣経済(横山和輝)

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